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介護のために妻の地元へ転居したビジネスケアラー。仕事と介護を無理なく両立できる「派遣エンジニア」という選択肢

スタッフサービス・エンジニアリング(以下、SSE)では、ライフステージが変化をしても前向きに働き続けられるように、一人ひとりの希望を踏まえ、働きやすい環境を整えられるよう派遣先との交渉を積極的におこなっています。

現在、半導体用シリコンウェーハのメーカーで就業中で、長崎県在住、55歳の大室おおむろ さとるさんは、ライフステージの変化に直面したことで、SSEで働くことを選んだひとり。家族の介護というテーマに向き合う大室さんは、仕事と介護を両立できるような体制をどのように確立していったのでしょうか。


超高齢社会で増加する「ビジネスケアラー」。介護と仕事の両立をいかに実現するか

超高齢社会である日本では、働きながら家族の介護をおこなう「ビジネスケアラー」と呼ばれる人たちが増加しています。経済産業省によると、ピークを迎える2030年にはビジネスケアラーは318万人にもなると言われており、10年で50万人増加する見込みです。仕事と介護の両立は肉体的にも精神的にも負担が大きく、このままでは大量の「介護離職」が発生してしまう懸念があります。労働人口の減少が叫ばれている今、深刻な社会問題に発展しかねないテーマのひとつだと言えるでしょう。

育児と違い、介護は家族構成に関わらず誰にでも発生する可能性があります。また、いつ始まるか、いつ終わるかもさまざまです。そのため、一時しのぎの対応ではなく、ケアをする側が継続的に無理なく続けられるような体制を築くことが重要だと言われています。

そこで、SSEでは、現在介護をおこなっているビジネスケアラーや、今後本格的な介護に突入することが見えているビジネスケアラー予備軍といった派遣スタッフのニーズに応じて、両立しやすい体制を整えるための派遣先の変更や勤務条件の調整を積極的に実施。「親の介護のために、地元に戻って新たに仕事を探したい」といった思いに寄り添い、介護との両立を見据えた支援をおこなっています。


介護のために29年務めた会社を退職。知らない土地で仕事を探す難しさに直面

大室 悟(おおむろ さとる)さん
スタッフサービス・エンジニアリング 派遣エンジニア

私の地元は福島県。大学を卒業後、地元の機械メーカーに新卒入社しました。はじめはプリンタの設計を5年ほど担当していたのですが、ちょうどその頃は「Windows95」が社会現象となった、時代の変わり目。パソコンの需要が大きく伸びたことで、私の会社でも生産体制を強化することになり、私はデスクトップ型パソコンの電気系の品質保証を担当するようになりました。そこからは一貫して品質保証としてのキャリアを歩むことに。勤続29年の間に部門の取りまとめも任され、このまま定年まで務めあげるつもりでしたし、定年後も再雇用されて働き続ける未来を漠然と思い描いていました。

そんな私がキャリアを大きく変える決断をしたのは、50歳を過ぎた頃に妻から義母の介護について相談されたことがきっかけ。要介護認定はまだ受けていませんでしたが、足腰が弱っており耳も聞こえづらいため、「心配だから時々手伝いに帰りたい」と言われたのです。

しかし、妻の地元は福島から遠く離れた長崎県。東北と九州を行ったり来たりするのは妻の負担があまりに大きい。かといって、親のそばにいたい妻の気持ちも痛いほど分かります。私も実母の介護を経験しましたし、その後で父を突然亡くしたときには、「もっと頻繁に会っていれば」と後悔もしました。だからこそ、「それなら、ふたりで長崎に引っ越さないか」と提案。29年務めた会社の早期退職を50歳で決断しました。 

仕事の引継ぎや諸々の手続きなどで、実際に引っ越すまでには半年ほどかかり、その間に長崎での仕事を探してみました。しかし、見知らぬ土地で自分にあった仕事を探すのは非常に難しかったです。地域が変われば主な産業も変わるので、私が前職で培った電気×品質保証の経験が活かせる求人がそもそも少なかったのも理由のひとつ。また、地域に詳しくないので、社名や条件を見ても本当にこの求人が私にとって妥当なのか、納得感を持って判断できませんでした。
 
そんな風に新天地で就職先を探す難しさを実感しているときに、Webで情報収集をして出会ったのがSSEです。全国で多岐にわたる求人を扱っているため、私が暮らす市の仕事だけでなく近隣での仕事も含めて可能性を探ってくれる選択肢の広さが私には魅力でした。また、客観的な視点で派遣先や仕事内容についてアドバイスしてくれるのも、引っ越してきたばかりで情報が少ない私には心強かった。自力で仕事を見つけるよりも安心だと感じ、派遣エンジニアになることを決めました。


介護の負担は徐々に増えていくもの。状況に応じて働き方の相談ができる安心感

とはいえ、もともと私の経験が活かせる求人が地域に少ないのは事実なので、通勤圏内で条件に合った就業先が見つかるまでには少し時間がかかりました。しかし、ないからといってそこで諦めるのではなく、見つかるまでは対象の地域を少し広げて短期間の仕事を紹介してくれるような第二・第三の選択肢を提示してくれたのが、私は嬉しかった。短期の仕事で実績を積みつつ、派遣エンジニアとしての働き方に慣れていくことができました。

そうして今、私は自宅から通勤1時間程度のところにある半導体用シリコンウェーハのメーカーで就業しています。担当しているのは、試作開発部門における資材の管理や他部門との調整、テストデータの収集などを担当しています。これまで経験してきた品質保証とは一味違った業務ですが、製造の仕組みや物の流れは概ね前職と共通しており、経験がない分野でも相談先・確認先の見当がつくので、比較的スムーズに業務を習得できたと思います。

就業開始から2年半が経ちましたが、SSEの派遣エンジニアで良かったなと思うのは、派遣先には直接相談しづらいことも間に入って話を聞いてくれること。職場の同僚とも家族とも違う存在ですが、仕事のことや介護との両立についてなど、自分が悩んだり不安に感じたりしている部分を親身になってわかってくれるのがありがたいです。

また、歳を重ねると共に義母の介護レベルが進んでいくことは覚悟しなければなりません。今はまだ、ゆっくりながらも義母自身でできることもあるので、私が担っているのは、通院の付き添いや休日の見守り、日常の家事などですが、少しずつサポートが必要なことも増えてきたと感じます。かかりつけの医師とも、要介護認定の相談中です。でも、SSEとの信頼関係があるからこそ、介護の負担が増えたとしてもひとりで抱えむことなく、勤務時間や就業先について前向きに相談に乗ってもらえそうな安心感がありますね。

家族と向きあう時間は、失ってからでは取り戻せないからこそ、妻と一緒に長崎で暮らす決断をしたことに、後悔はありません。今、妻がしっかりと義母に向き合えていること、私も一緒に義母の生活を支えられることが嬉しいですし、こうした機会は誰の人生においてもかけがえのない大切な時間だと思っています。

家族との時間をより大切にできるようになりました

でも、だからといって自分の人生のすべてを犠牲にしてまでその責任を背負い込んでしまうと、介護をする人もされる人も幸せにはなれない気がします。働くことは生きていくために必要なことであると同時に、自分が人生を通して積み重ねてきたものですから、介護があるからといってむやみに手放したくはありません。

だからこそ、家族の介護に直面している人は、少し視野を広げてさまざまな選択肢を検討してみることが大切なのではないでしょうか。例えば、「働く時間を短くする」「働く場所を変える」「在宅勤務ができる仕事を探す」など、そういった方法を一緒に探してくれる存在がいることで、私は安心して自分らしく働き続ける道を選ぶことができました。

そして、ときどきは介護・仕事以外の時間でリフレッシュをすることも大切。私の場合は仕事の帰りにちょっと遠回りのドライブをするなど、30分~1時間でも自分の時間を持ち、長崎での新しい生活を楽しんでいます。今後も、働くことで自分の生活リズムを維持しながら、家族に向き合うかけがえのない時間を大切にしていきたいです。


※所属や肩書は取材当時のものです。


\お読みいただき、ありがとうございました!/

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