29歳でホテルスタッフからエンジニアに転身。派遣エンジニアの経験を土台に、サイバーセキュリティの道へ
スタッフサービスグループでは、派遣期間の実務や研修を通して、一人ひとりにあった成長を支援する仕組みを整えています。なかには力をつけた上で派遣先に直接雇用される人や、目標とするキャリアを実現するために新たな道へチャレンジしていく人も。
現在、外資系企業のセキュリティエンジニアとして働く河野泰貴さんもその一人です。河野さんは、エンジニア派遣をおこなうスタッフサービス・エンジニアリングに在籍していた約6年の経験を通して、どのようにキャリアアップを実現させたのでしょうか。これまでの道のりを振り返ってもらいました。
スタッフサービスは、29歳で未経験の自分を歓迎してくれた
今振り返ってみると、私は20代のキャリアをなんとなく過ごしてしまったように思います。大学でITを学ぶつもりだったものの、実際の授業と自分が希望していた学びにズレを感じ、3年で中退。当時アルバイトをしていたコールセンターにそのまま契約社員として就職しましたが、特に仕事を通して実現したいことも目標もありませんでした。その後ホテルの接客に転職しましたが、このときの理由は「自宅に近かったから」です。
しかし、結婚を機にキャリアについて真剣に考えるように。将来子どもが生まれたら、土日出勤や夜勤がある仕事では、子どもと過ごせる時間はとても少なくなってしまいます。それは私が目指す父親像ではありませんでした。家族との時間を捧げてまで、なんとなく選んだ仕事を続けるべきなのかと悩みはじめたのです。
気づけば29歳。新しい仕事にイチから挑戦するなら、今からがんばればギリギリ間に合うと思いました。自分は何をやりたいのか考えてみると、一度は諦めたエンジニアの道にもう一度チャレンジしたかった。でも私には、何の資格も実務経験もありません。自分に唯一あるのは“やる気”だけ。そのため、未経験からはじめられるエンジニアの仕事を探してたどり着いたのが、スタッフサービス・エンジニアリングです。
ここで働こうと決めたのは、「未経験でも“可”」ではなく、「未経験からの成長を“応援”」する姿勢で迎えてくれたこと。ゼロから学ぼうとする人のやる気を評価して歓迎してくれたことが、新たな道を志す自分にとっては安心できました。
資格取得に励み、得た知識を活かして新たな業務に挑み続ける中で拓けた道
スタッフサービス・エンジニアリングの常用型派遣のエンジニアとして採用されたのが2013年。最初の派遣先は携帯電話メーカーでした。私が任された仕事は生産管理部門での損益計算や原価計算。事務職に近い業務内容で、マクロを組んでExcelやAccessを動かすような機会があり、ファーストステップとして丁度良い経験だったと思います。
この時期は、実務と並行して資格取得の勉強に情熱を燃やしていた頃。Access、VBA、C言語、Java、情報セキュリティ……と、スタッフサービス・エンジニアリングの資格取得支援制度を活用してシステム系の資格取得に挑戦し、基礎から勉強していました。仕事の合間を縫って勉強を続けられたのは、いくつかの理由があります。
一つは、資格を取得すれば派遣元であるスタッフサービス・エンジニアリングから意欲と姿勢が評価され、やりたい仕事が実現しやすくなると考えたからです。また、新卒からエンジニアを経験してきた人たちに早く追いつきたかったのも理由の一つ。経験の差はどうしても埋められないのなら、知識で埋めるしかないと思い、人一倍勉強していました。また、試験に合格すると奨励金が支給されるのもありがたかったです。臨時収入が入ってくるという分かりやすいメリットもあったからこそ、勉強のモチベーションを維持することができました。
そうやって徐々に資格の難易度を上げて行き、「応用情報技術者試験」に合格した段階で、営業担当に相談して新たな仕事に挑戦することに。より専門的な技術が学べる仕事に挑戦したかったことに加えて、プライベートでも興味があった自動車業界で働きたいという希望を伝えたところ、自動車メーカーの開発現場で、ブレーキの評価業務に取り組むことができました。これが、今のキャリアにつながる大きな転機になったんです。
当時は、インターネットに接続してさまざまな機能を実現する「コネクテッドカー」が登場した時期。自動運転など、よりワクワクする未来が待っているかもしれないけれど、万が一ハッキングされたときには人命に関わる危険が生じてしまうリスクを感じました。あらゆるモノがネットに繋がるIoTの時代は、セキュリティがますます重要になってくるのではないか。間違いなく成長しそうなこの分野で、専門性を磨きたいと思うようになりました。
そこで、再びスタッフサービス・エンジニアリングの資格取得支援制度を活用してセキュリティを勉強。「情報処理安全確保支援士」という、合格率13%の難関資格を突破し、次なる道への弾みをつけました。営業担当に相談したところ、ちょうど派遣先と同じグループ会社の情報システム部門で募集されていたことから、社内SEに転身。ここではセキュリティに関わる業務をはじめ、幅広く企業の情報システムを学ぶ機会になりました。
多様な機会を経験できたこと。そのすべてが今の仕事に活きている
社内SEとして評価いただき、派遣先と直接雇用を結ぶ形でスタッフサービス・エンジニアリングを卒業。ただ、幅広く社内システムに携わるうちに、「セキュリティに専門特化したい」、「1社だけでなく、専門家として多くの会社に貢献したい」という想いがより強くなっていきました。そこで、SIerのサイバーセキュリティコンサルタントに転じ、今は更に技術を磨くために外資系企業でフォレンジックの技術者をしています。
フォレンジックとは、企業でセキュリティ事故が起きた際に、端末やネットワーク内の情報を収集し、被害の状況や原因を解明する仕事。事件現場で証拠を集める鑑識や探偵のような仕事で、仮説・分析・検証を繰り返して答えを見つけていくところに、面白みを感じています。
振り返ってみると、今の仕事に就けたのはスタッフサービス・エンジニアリングでのさまざまな経験が土台になって実現できたものだと感じます。資格の勉強を推奨してくれる環境でエンジニアとして知識・スキルを身につけられたことや、実務を通してステップアップできたことはもちろん、その時は無自覚だったけれど後になってありがたみを感じることもあります。
例えば、最初の派遣先で損益計算や原価管理をしていたことで、私には知らず知らずのうちに経営に不可欠な数字を読む力が身についていました。今の私はセキュリティの重要性やリスクについて企業の経営陣に報告・プレゼンをする立場です。一方的に専門的な話を伝えても相手には理解してもらえません。その意味で、技術の周辺にある業務を経験していたことが今の強みになっています。ほかにも、自動車開発の現場にいたおかげで、モノづくり現場におけるITリテラシーがイメージしやすいですし、情報システム部門ではシステムを通して経営と現場のハブになる大切さを学びました。スタッフサービス・エンジニアリングでの6年は、単に技術的なスキル・知識を学ぶだけでなく、技術の専門家として生きていくために必要な総合的な経験を積むことができた時期でした。
キャリアアップとともに暮らしも変化。仕事で実現したい大きな目標もできた
スタッフサービス・エンジニアリングの就業をきっかけに、生活環境も大きく変化しました。結婚当初、岡山で暮らしていた私たち夫婦は、勤務地に合わせて兵庫、広島へ引っ越し。そして本格的にサイバーセキュリティの道へ進むと決めてからは家族で東京へ。時々海外出張もこなしながら関東で子育てをしているなんて、岡山にいたころの私は想像もしていませんでした。しかし、努力した分が着実に報われるスタッフサービス・エンジニアリングの環境をきっかけに、自分のやりたいことが実現でき、収入もホテルスタッフの時代から1,000万円以上上げることができた。娘の将来のために、伸び伸びと教育を受けさせられるだけの余裕ができたのは、一人の親として本当に良かったです。
今後は、更にセキュリティの道を究め、日本をより良くしていきたい。まだまだ日本の企業はサイバーセキュリティ対策が十分とはいえません。中小企業であればなおさらです。致命的な情報事故を減らし、データや知的財産を守ること。それが日本を元気にする一手だと信じて、私はこの道を歩み続けます。
※所属や肩書は取材当時のものです
\お読みいただき、ありがとうございました!/
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